■ 千鹿谷の郷
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千鹿谷の郷の歴史

 日尾城が築城されたのは、15世紀の後半頃で、奥秩父に勢力をもっていた長尾景春の支城の一つであったと伝えられています。
永禄4年(1561年)8月頃、当時の関東管領、山内上杉氏が、秩父地方に侵入してくる小田原北条氏に対する上野国の防波堤として、日尾城を整備したとある。
上杉氏統治時代の日尾城主は全くわからないが、北条氏邦が鉢形城(寄居町)に入城し、城主となり、秩父支配にかかるとき、小田原から連れて来た随臣である諏訪部遠江守定勝を、初代城主に任命し、鉢形城の支城とする。
これにより、土坂峠越えの武田軍本隊、及び志賀坂峠越えの上州の小幡衆たちの甲斐武田勢による、秩父への侵攻に対する鉢形城の防波堤として、重要な城となる。
天正10年(1582年)甲斐武田氏は滅亡する。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐によって、鉢形城は、豊臣の前田・上杉連合軍に攻められ落城。と同時に、日尾城は、無血開城し、以後、廃城となる。(埼玉の城址30選より)
千鹿谷の郷は、日尾城に仕えた武将の末裔の集落であります。また、幕末の嘉永5年(1852年)9月、当時の勘定奉行、川路左衛門尉聖謨の知行所でもあった。(東洋金鴻より)


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